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読書ノート

精神科医・春日武彦『待つ力 (扶桑社BOOKS新書)』読了。「待つ」ことは「予想外の物語を立ち上げるための手続き」であり、偶然性や関係性にアクセスし、意外な豊かさをもたらす。

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 精神科医・春日武彦『待つ力 (扶桑社BOOKS新書)』をKindle Paperwhite Wi-Fi、ブラックで読みました。

「待つ」ことの意義

 なんでも速さが優先され、世知辛く生きにくい現代において「待つ」ことの有用性をあえて強調し、「待つ」ことにより、意外な豊かさや可能性が生まれることがあり、しかも偶然性や関係性にアクセスすることができると語ります。
 「待つ」というのは消極的なだけでなく、積極的な方法論ともなり得るのだと。

「待つ」=保留できる能力

 「待つ」というのは物事を保留し、ペンディングできる力とも言い換えられ、

保留できる能力は、もっと別な言い方をするなら「中腰の状態で事態の展開や解決を時間に託す」ということです。時間に託すといえば聞こえはいいけれど、つまり放置しておくことと変わらないのではないかと反論が聞こえてきそうです。確かに、放置とか無責任とかそういったネガティヴなイメージを持たれかねない。消極的、受動的なものと思われかねない。でも、ここで申している「保留」はもっと積極的な意味を帯びています

と説きます。

「人事を尽くして天命を待つ」

 何事も自己責任だ自己責任だと言われ、人間の力だけが全てのように語られるこの頃ですが、すべて合理的に処理しても「時」が来なければ進まないことも多々あります。旧約聖書のコヘレトの言葉にも「何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある」とありますし。
 また、作者は「待つ」ことを

予想外の物語を立ち上げるための手続きと言い直してもよいのかもしれません

とも言っています。
 自分自身、今から考えてみると台湾でずいぶん窮乏生活を送りながら、耐えて待つことを続けていたら、なぜか大学で教壇に立つことになっていました。一時は待つのも疲れて、日本へ帰りたいといつも思っていましたが。

「うつ」など心の病への接し方

 台湾も日本も、「うつ」や強迫神経症にかかる人が年々増えています。なかなか治らず苦しんでいる人も多くいます。こういう病は風邪などと違って、スパっと治ったと判断できないのがやっかいです。作者はこういう精神の病に対して、

《治る・治らない》といった二分法に囚われてしまうと、「いつになったら治るんだ」と、患者も治療者もお互いに幻滅してしまう。だが、さまざまな症状を消し去ったり押さえ込むといった発想ではなく、症状を「薄めていく」「希釈していく」と考えるとどうでしょうか。多少の症状は残っていたり出没するものの、まあどうにか生活が成り立っていけばよろしいと肩の力が抜けた時点を以て「治った」と見なす。これは誤魔化しなのでしょうか。いや、違いますね。むしろ自分自身との付き合い方が上手くなったということではないのか。そうなると、病を得たことは決して無駄ではなかったといった話になってきましょう。決して損をしたという話ではない

 と、単純な二分法で分けるという考えをやめたほうがいいと説きます。
 病気だけではなく、人生のいろいろな局面において、二分法的思考で苦しむことが多々あるように思います。勝ち組だとか負け組だとか、モテだとか非モテだとか。それでネガティブな方に自分を位置づけてしまったら最後、そのネガティブなほうに自分のアイデンティティを固定してしまい、そのネガティブさが「自分らしさ」となり、後生大事に保ってしまいます。それが極端になると神経症にまでなってしまうそうです。

 この本は1時間位でサッと読める軽い本ですが、作者の臨床経験に基づいた生々しい話もあり、説得力があります。作者自身がどういうネガティブ思考にとらわれ、神経症的になってしまったかという赤裸々な体験と克服の話もあり、臨場感があります。

内田樹との対談本も

 この作者の本は初めて読んだとばかり思っていましたが、内田樹との対談を去年読んでいました。当時は内田樹のところだけに注目していたのか、あまり心にひっかからなかった記憶があります。

 春日武彦『待つ力 (扶桑社BOOKS新書)』を読んだあとなら、もっと深く読み込めると思うので、もう一度ゆっくり読んでみようと思います。

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