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1908(明治41)年10月24日、日本統治下の台湾で縦貫線基隆⇔高雄間が全線開通

投稿日:2017-10-24 更新日:

1908(明治41)年10月24日、日本統治下の台湾で縦貫線「基隆⇔高雄」間が全線開通しました。

全線開通を記念し、台湾の台中公園で式典「縦貫鉄道全通式」が開催されました。

台中公園で行われた台湾縦貫鉄道、開通の時の記念式典の写真

この写真は「縦貫鉄道全通式」を撮影したもので、写真にうつる西洋風の建物は台中公園に現存する「湖心亭(日本統治時代の名は双閣亭)」だそうです。「湖心亭」は皇室などVIPの休憩所として作られた豪奢な和洋折衷建築です。

台中公園は1903(明治36)年完工、作られた当時は「中之島公園」でしたが、終戦後「台中公園」となり、のちに孫文を記念し「中山公園」となります。2000年になり、また「台中公園」という名称に戻りました。

100年以上前に開通した台湾縦貫鉄道は今でも台湾で利用され続けています。

日本統治以前の台湾鉄道

台湾は日本統治時代に一気に近代化されたと思っている人もいますが、中国の清朝時代に「基隆⇔台北」線(1891年)「台北⇔新竹」線(1893)の2線が開通しています。

台湾巡撫・劉銘伝

清仏戦争で台湾をフランス軍から守った劉銘伝(りゅうめいでん)は、台湾巡撫として台湾省に赴任しました。

近代化の必要性が身にしみていた劉銘伝は軍備を再編し、台湾初の鉄道を建設し、台湾省と福建省に電信ケーブルを敷設するなどのインフラ整備を行いました。電報局、煤務局、鉄路局等の管理機構も整備しています。

風水思想を重視する当時の台湾住民を説き伏せてトンネルを作ったり、線路を引く苦労は並大抵ではなかったことが西川満『台湾縦貫鉄道』に描かれています。

劉銘伝はせっかく台湾の近代化に骨を折ったのに後任の台湾巡撫である邵友濂(しょうゆうれん)は、鉄道を延長させるどころか、電報局、煤務局、鉄路局等の管理機構を廃止してしまいました。

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日本統治時代の台湾鉄道


日清戦争の後、日本が台湾を統治することとなり、清朝が建設し運営していた「全台鉄路商務総局鉄道」を接収しました。そしてまず日本軍の軍用列車が運転を開始します。

1895年(明治28年)、初代台湾総督樺山資紀(かばやますけのり)は台湾を南北に縦貫する全長322キロメートルの鉄道の建設を計画します。

なかなか進まなかった縦貫鉄道計画ですが、後藤新平(ごとうしんぺい)民政長官が赴任すると一気に加速します。鉄道敷設のための公債を募集し、優秀な技師を台湾に呼び寄せました。

台湾鉄道の父・長谷川謹介

1899年(明治32年)、長谷川謹介(はせがわ きんすけ)は後藤新平の招きで臨時台湾鉄道敷設部技師長に任命されます。その後は台湾総督府鉄道部技師長および台湾総督府鉄道部長を歴任しています。

長谷川謹介は既存の「基隆⇔新竹」線を改良し、「新竹⇔高雄」線の建設工事に着手します。

この建設工事の様子と台湾住民の決死の抵抗も西川満「台湾縦貫鉄道」に詳しく描かれています。

そして、1908年(明治41年)「基隆⇔高雄」間、404.2キロメートルにおよぶ「台湾縦貫鉄道」は開通し、長谷川謹介は「台湾鉄道の父」と呼ばれるようになります。

台湾は縦貫鉄道開通以後、貨物や人の移動が盛んになり、現在の台湾につながる街並みを作り上げました。

日本でも台湾鉄道の人気は高く、マニアックな本も出ています。日本の鉄道との関連も深いので、鉄道好きなら見ても損はないです。

台湾鉄道の旅のすすめ

台湾は現在、台湾新幹線(台湾高速鉄道:高鉄)や高速道路が整備されたため、台湾鉄道の重要度は以前より下がっています。

しかし、台湾新幹線(台湾高速鉄道:高鉄)は運賃が高いし、駅周辺はまだ開発されておらず不便です。高速バス(客運)は運賃は安いものの、狭い車内で動くこともままならず、すごく疲れます。

やはり今でも台湾を旅するなら、台湾鉄道を利用するのがおすすめです。台湾鉄道沿線の街並みを見ているだけでも楽しいですし、線路や駅舎は日本統治時代の面影を残しており、歴史の深みを感じることもできます。

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