中国は世界の中で他に類を見ないほどの多くのものを創造し続けてきている。
世界の他の地域においても優れた文化は創造されてきたが、決して創造の連続だったわけではない。
中国の創造性の開花と展開
では、なぜ中国はかくも豊かな創造性を培ってきたのであろうか。 歴史との関係を見ると工芸の技術革新が始まるのは乱世と呼ばれる時期である。そして逆に、平和な時代は革新された技術が大きく花開く時期である。
つまり乱世は創造、太平は展開というパターンが繰り返されて中国の工芸は絶え間なく創造を続けてきたのである。
宋代の青磁も唐末五代の、いわゆる乱世にその祖形が見られた。しかし、宋代の特色とされる商業の発達と庶民文化の向上による太平の時代がなければ、青磁も完成の域にまで達することなく終わってしまっていたであろう。
宋朝の芸術の厳粛さと優しさ
宋代には性即理や格物致知などを説いた、新しい儒教である朱子学が興っている。宋代の青磁には浮彫り文や、印刻文、素文などいろいろな種類があるが、形がいずれも端正であり非常に神経質な厳しさがある。
華美絢爛を嫌い、秩序礼節を重んじた朱子学が、単純な造形に機能性と洗練された美を兼ね備えた宋代の青磁を創り出したのであろう。
しかし、宋代の青磁からは、決して冷たいという印象を受けない。
それは青磁の持つ半透明で少し厚みがあり、ほのかに深みを持つ玉のような釉薬のためであろう。
玉と青磁の関連
中国人は昔から玉を愛好し続けている。
玉の美しい色調と光沢、叩けば妙なる音がすることから、中国人は太古の昔から玉を神の創ったものであり、玉には魂が宿っていると考えた。
そして、玉には九つの徳があり身につけていると玉の徳にあやかれるという一種のアニミズム的玉信仰が始まったという。
中国人がその玉の色に到達するのには実に千年ちかくの歳月がかかっている。このように、宋代の青磁は太古から続く儒教と玉信仰の結晶ともいえる。
宋代の青磁に限らず工芸は使用されるものであるという身近さから、その時代の人々の宗教性が強く反映されるものである。
中国美術の南北における相違
中国の北と南では風土も文化も違い、当然工芸も中国の北と南ではその有様にかなりの違いが見受けられる。
驚いたことに中国国内用の工芸品だけでなく貿易陶磁として中国以外の人が喜ぶような工芸品をアラビア商人たちのオーダーで作っていたという。
このように中国の工芸とは殷時代の禍々しい青銅器からアラベスク(コーラン模様)の染付けまで全く多岐にわたり、あまりにも混沌としているものである。
中国の歴代の皇帝が中国を一つの国と考えて統治すると決まって失敗してしまったように、中国の工芸も一義的に解釈しようとすると破綻をきたすであろう。工芸についても時代・文化・地域性なども考慮に入れた複数のコンテクストから解釈していく必要がある。
しかし私は、近年の傾向を見ていると中国の工芸は、純美術と同じく鑑賞されるものとなり、美しさと金銭のみで評価されていて用の美や宗教性はなおざりにされているように感じる。
2002年に追記
この文章は、1999年の6月に芸術史のレポートとして書いたものです。
中国の工藝を青磁器をテーマにまとめてみました。 (2002.3.5)