白居易は江州に来て後、魯山の香鑪峯の麓に草堂を建てました。
中隠の詩で示された境地を実践するために建てられたこの草庵ができたとき、白居易はこの詩「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」五首を書き上げました。
ここで紹介するのはその第一首目です。
「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」題義と日本語訳
香爐峰の麓に新に山居を構え、草堂が既に落成した。因って其東壁に題した詩である。(原文を現代仮名遣いに改めました)
新に成れる我が草堂は五架三間の小屋ではあるが、
自然の石を階段とし桂の木を柱とし竹で編んだ垣を以て四方を繞らし、
南の簷は日光を納れて冬でも暖かく、
北の戸口は風を迎えて夏でも涼しく、
飛泉が迸って余沫が砌に灑ぎ、
窓を払って斜に立てる竹は態と乱雑に植えてある。
来春になったら更に東廂を営んで障子を立て蘆簾を垂れて老妻を置こうと思う。
(原文を現代仮名遣い・新字体に改めました)
「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」書き下し文
五架《か》三間《けん》の新草堂《しんさうだう》、石階《せきかい》桂柱《けいちう》竹牆《たけしやう》を編《あ》む。
南簷《なんえん》日《ひ》を納《い》れて冬天《とうてん》煖《あたたか》に、北戶《ほくこ》風《かぜ》を迎《むか》へて夏月《かげつ》涼《すず》し。
砌《みぎり》に灑《そそ》ぐ飛泉《ひせん》纔《わづか》に點《てん》有《あ》り、牕《まど》を拂《はら》ふ斜竹《しやちく》行《かう》を成《な》さず。
來春《らんしゆん》更《さら》に東廂《とうしやう》の屋《をく》を葺《ふ》き。
紙閣《しかく》蘆簾《ろれん》孟光《まうくわう》を著《つ》けん。
「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」白文(中国語ピンイン付き)
五架三間新草堂。
Wǔ jià sān jiān xīn cǎo táng
石階桂柱竹編牆。
Shí jiē guì zhù zhú biān qiáng
南簷納日冬天煖。
Nán yán nà rì dōng tiān nuǎn
北戶迎風夏月涼。
Běi hù yíng fēng xià yuè liáng
灑砌飛泉纔有點。
Sǎ qì fēi quán cái yǒu diǎn
拂牕斜竹不成行。
Fú chuāng xié zhú bù chéng xíng
來春更葺東廂屋。
Lái chūn gèng qì dōng xiāng wū
紙閣蘆簾著孟光。
Zhǐ gé lú lián zhe mèng guāng
「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」字解
- 【香炉峰】 廬山の峯の名。
- 【五架】 水を架して屋を為るに、兩木を立つる所の距離を一架といふ。三間は三室あること。辭源に一室を一間といふとある。
- 【東廂】 東のひさし。
- 【紙閣】 障子。 蘆簾は蘆を編んで作つた簾。孟光は漢の梁鴻の賢妻。ここでは樂天の妻に比す。
「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」出典
佐久節(パブリックドメイン)訳註 『「続国訳漢文大成」白楽天全詩集 第二巻』
日本図書センター 昭和五三年六月三〇日 P.630〜P.631より
佐久節の経歴
1882−1961 明治-昭和時代の中国文学者。明治15年9月1日生まれ。大正8年一高教授となる。のち日本女子大教授。昭和36年1月22日死去。78歳。茨城県出身。東京帝大卒。著作に「唐詩選新釈」「漢詩大観」など。