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日本人の生活と禅、中国禅との相違【鈴木大拙『日本的霊性』断章】

禅が日本的霊性を表詮して居るというのは、禅が日本人の生活の中に根深く喰い込んで居るという意味でない。

それよりもむしろ日本人の生活そのものが禅的であるといった方がよい。禅宗の渡来は日本的霊性に発火の機縁を与えたのではあるが、発火すべき主体そのものはその頃十分に成熟して居たのである。

川瀬巴水『手賀沼』(昭和10年)
川瀬巴水『手賀沼』(昭和10年)

禅は漢民族の思想や文学や芸術に載せられて来たが、日本的霊性は必ずしも能載の道具立てに目を奪われなかった。奈良時代に仏教文学及び思想がはいって来たごとくではなかった。

奈良時代や平安時代の仏教は日本の上層生活と概念的に結び付いたに過ぎなかった。

禅はこれに反して鎌倉時代の武士生活の真只中に根を下した。そうして武士精神の奥底にあるものに培われて芽生えた。この芽は外来性のものでなくて、日本武士の生活そのものから出たものである。

さきに根を下したといったが、それは正しい表現でない。まさに萌え出んとする日本的武士的霊性のために、その通路を塞いで居るものを通り除けたといった方がよい。啐啄同時の機をここに見るわけである。

それで日本の禅宗は漢文学の制圧を受くることを甘んじて居たが、日本の禅生活は日本的霊性の上に花開くこととなった。室町時代から江戸時代を通じて、禅的表現は日本人の生活の諸方面に展開して行った。

もっとも日本的と考えられて居る神道そのものが禅化して行ったのは、これがためである。そうしてこの禅化が無意識であったというところに、ますます禅の日本的霊性の性格を見るのである。

神道家は意識の表面ではこの「無意識」裏の事実を否定せんとするのである。この否定はその本体において肯定に外ならぬことは、少しく人間意識の特異性を研究したものの能く認むるところであろう。

禅は支那で発生したのであるが、それは漢民族の実際生活の中へ深く入り込まなかった。

華厳や天台や唯識のようなものでは、到底支那民族に取り入れられないのであるから、支那仏教は禅と浄土になるより外ない。仏教は禅となることによりて、宋儒の理学を大成せしめ、明代の王学を興さした。

しかし支那民衆の一般的生活の中には、仏教は禅として、浸透しないで、因果応報の教えとして行きわたって居る。

それは北方民族としての漢人の思想や情緒で支配せられて居る国民にとりては、南方系の禅思想よりも、論理性を帯びた善因善果説の方がより効果的であろう。

それで浄土思想も親鸞的横超経験で体得せられなかったのである。日本的なるものには、どうしても南方系の考え方感じ方というべきものが基調をなして居るのである。

その点で日本人と禅とは、自ら親しみやすい傾向を持って居るといってよい。牧渓の画がその本国で解せられないで、日本でのみ保存せられてある事実も、前述の理由によるものと考えるべきであろう。

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